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伊達移住者の体験記 > 伊達暮らし43 藍のこと
 伊達市に移住をされた方に、日々の様子を綴っていただくコーナー。

 横浜から移住された池田武史さん。
 四国を旅され、徳島の吉野川流域がかって藍の一大産地だったことや、北海道と関わりが深かったことなどを知り、何故吉野川流域なのか、という理由も分かり、人間と自然との共生の姿も見えてきたそう。
 伊達でも、藍の栽培と染料となるすくも作りが続いていますが、今回は藍のお話です。




徳島県藍住町にある「藍の館」で藍の歴史について学ぶことができた。

 明治の日本を訪れたラフカディオ・ハーンは、みんなが着ている青い色の着物や街中ののれんなど日本の生活に染み込んでいる青い布色を見て、「ジャパン・ブルー」と称した。化学染料が普及する以前の代表的な染料の一つが藍(あい)であった。その藍の最大の産地が、徳島県の吉野川の流域と知った。明治以前だと阿波の国ということになり、江戸期では阿波藩の財政を支える重要な産物の一つで、ほぼ全国的に独占した産物であった。
 この藍の栽培から、染料としての「すくも」作りまでには、長いプロセスとそれに関わるノウハウがあるようだ。苗床で作った苗を本畑に移植する時は、麦の間に植えていった、と説明されていた。

 「なぜ麦の間なのだろう?」と女房や友人と立ち話をしていると、それを聞いていろいろと親切に教えてくださったのが、ここの副館長の阿部利雄さんだった。

 「藍は小さい時は、日除け、風除けが必要で、麦の脇に植えていたのですよ」
 「また阿波藩では大量の藍を栽培したので、食物の栽培もままならず、小麦と藍の栽培を平行させて土地の有効利用を図った、という事情をあったようです」
 わたし「他の説明に、藍の栽培には基肥としてニシンカスを細かくくだいて施した、とありますが、ということは当時から北海道との交易が盛んだったのですね」
 阿部さん「そうなんです。大量にニシンカスを用いたのです。ニシンカスの代金が費用の1/3にも及び高いので、明治期になって藍の栽培を北海道でやったらどうだろう、ということで徳島から北海道に数百人が移住した」
 わたし「わたしは今北海道の伊達という所に住んでいるのですが、伊達の近辺でも藍の栽培や藍染めが行われているようなのです」
 阿部さん「それはきっと明治期に徳島から移住した方のつながりではないでしょうか」

 という話をお聞きして、がぜん徳島と北海道の強いつながりを感じた。

 わたし「ニシンカスといえば、岡山あたりでは綿花栽培にとても有効で、綿花の収量が上がったというのを読んだことがあるのですが」
 阿部さん「そうなんです。江戸時代、綿花の生産と藍の生産は平行で伸びているのですよ」とのことで、北海道の海の幸が、本州での綿衣料や日本人の代表的な染物材料の発展と大きく関係したことを知ったという次第である。

以下は、阿部さんからいただいた資料からの抜粋。
「四国三郎」と云われる吉野川は、暴れ川として有名で、昭和2年の堤防完成以前は、洪水の時に流れる水量が日本一で、徳島平野一面が氾濫の原になり、多くの人命や財産が奪われた。

 一方この毎年のように起こる川の氾濫は、上流から肥沃な客土が流域に運ばれ 、連作をきらう藍の栽培に適した土壌を作った。
 上記の自然環境では、米を作っても洪水で流されることが多かったが、藍の場合は、洪水の来る前の7月頃に収穫できることが、徳島で藍の栽培が盛んになっていった一因である。
 江戸時代から明治中期にかけては、阿波・徳島を代表する特産品であり「阿波25万石・藍50万石」と云われ、吉野川一帯は全国一の藍作地帯となった。
 藍作とその加工は、今日では想像も出来ないほどの重労働で、1日の労働時間は20時間、食事も6度でほとんど寝る間もなく働き、“阿波の北方起き上がり小法師、寝たと思たら早おきた”と
うたわれていた。
 吉野川流域で産する藍は本藍といい、他地域の藍と比べると質の良さは歴然としていた。阿波藍は蓼藍といい蓼科の一年草植物で、たくさんの葉をつけて育ち、赤か白の小さな花をつける。白花種が赤花種より収量が多く、藍成分(インディゴ)の含有量も多い。

 阿部さんの資料では、阿波藩が藍で全国市場を独占していき藩経済が栄える様子や藍の加工のプロセス、農民社会の変化、吉野川の洪水に対処する家屋の構造や水防竹林などについてレポートされているが、ここでは割愛する。

 一点だけ「水防竹林」に関して、今回感じたことを述べる。
 今回、香川、徳島を旅して、「竹林が多いな」という印象をもった。

 阿部さんの資料で、
「洪水による河岸の侵食を防止したり家屋敷を守るため竹の植え付けが奨励され」
「今では竹が川風になびき、竹の葉が陽光を浴びた光景は風物詩となり」
というくだりを読み、「なるほど」と思った。
「また吉野川川辺の竹は、節が低く節間が長いため竹の尺や竹細工等の高級な用途に使われた」
「徳島は竹のものさしの日本一の生産地であった」

そういえば、昔は今のようなプラスチック製でなく、竹の30cmのものさしを使っていたものだ。
 おふくろは、「くじら尺」というのだろうか、和裁の時に寸単位の竹尺を用いていたのも思い出した。


 徳島を代表する芸能の一つに、阿波人形浄瑠璃があるが、この代表的な演目「傾城阿波の鳴門」(けいせいあわのなると)もまた藍との関わりがあると云える。

 江戸期の阿波の庄屋 坂東十郎兵衛は藩の藍の取引に関わり、藍を売って他藩から米の買い付けを任されていたが、このことが幕府から疑念を持たれた。藩は十郎兵衛に責を負わせ処刑して、幕府からの疑念を逃れた。この後、近松半二らが坂東十郎兵衛の名を借りて、徳島藩のお家騒動を描いた人形浄瑠璃に仕立てたのが「傾城阿波の鳴門」である。
 一番有名な泣かされるシーンのざっとしたすじは、
 十郎兵衛、お弓の夫婦は名を変え盗賊に身をやつし、大阪玉造に住んでいる。そこへ小さな時に別れた娘お鶴が巡礼姿で、阿波からはるばる父母を訪ねてくる。
 しばし話をしている間に、お弓は娘お鶴と分かるが、ここで名乗りを上げると娘にどんな危害が及ぶかと思い悩む。しかし娘の歌う巡礼唄にたまらず後を追う・・・・・
 一つの人形を3人の黒子の方が巧に操り、語りの方の語りを聞く。
庄屋 坂東十郎兵衛は藩の政策で非業の死を遂げたが、庶民感情の中に、これを鎮魂したい気分があり、「傾城阿波の鳴門」は庶民に受けて、永く語り伝えられているのではないだろうか。

 阿部さんからいただいたもう一つの資料は、「徳島県人の北海道移住」に関わるものだった。
 前述のように藍作りには、北海道からの魚肥が使われたが、明治の初年、この魚肥の値段が高騰して藍農家を悩ませた。そこで北海道なら魚肥が安価に手に入るということで、“北海道で藍を作ろう”と藍農家の移住が計画された。1879年に余市原野(現仁木町)に360人余を率いて仁木竹吉(川島町出身)が移住した。板野郡長江町出身の滝本五郎は1881年に北海道で藍を生産するため徳島興産社を設立して、札幌を中心に生産し、4年後に全国出荷を始めた。明治30年頃の藍の作付面積は北海道全体で約560町歩で、一時は本場を圧迫するまでに成長した。

 19世紀の後半、ドイツの化学者バイエルによって、“インディゴ・ブルー”が合成されて、藍色染料が大量に生産される道ができて、天然の藍染料は衰退していく。
 藍は殺菌性があり、肌荒れ、汗疹を防ぐ効果があり、戦国時代には武士のよろい下を藍で染めるための需要が高まった。阿波藩は経済性に着目し、藍の生産を奨励し、藍師や藍商を保護して、もって藩の財政の確立を図った。

 藍の生産から流通のプロセスで、藍の品質を決めていくしくみとして“手板”というものが確立された。藍の葉を発酵させて作る「すくも」の鑑定法を手板仕方といって、「すくも」を練って団子にし、和紙に押印してその色調や濃淡で品質と買値を判断するしくみが作られた。このような客観的な品質基準の確立が、阿波の藍の品質の確かさ・信頼の基になっていき、その隆盛を極めたのだろう。物の流通に品質基準の適用がはまっている事例として目に留まった。


 藍と紅花について
 江戸時代の諸国物産見立番付に、東の関脇が「最上紅花(もがみべにばな)」、西の関脇が「阿波
藍玉」となっていて、両者は染料界の王者に君臨していた。それぞれに特徴ある染料だが、下地を藍で染め、その上で紅花で染めると高貴な古代紫に染まるとのことである。


 伊達に戻り、藍染体験工房もある「黎明観(れいめいかん)」の方とお話しする中で、伊達市の資料をいただく。伊達では北海道で最も早く明治7年(1874年)から栽培が始まり、長流川、紋瞥川、牛舎川域を中心に作付け面積も増え、明治22年の最盛期には385.5haにも達し、北海道一の藍生産地になったとのこと。
 現在では北海道で唯一、伊達の近郊の北黄金町の地で、篠原さんという方が、藍の栽培から「すくも」作りまでをされているということを知った。藍の花は、6月末から7月初めに咲くとのことで、今度はその時期に一度花を見せていただこうと思っている。 08-4-5記
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