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伊達移住者の体験記 > 伊達暮らし37 広瀬 武夫
 伊達市に移住をされた方に、日々の様子を綴っていただくコーナー。

 横浜から移住された池田武史さん。愛読書の「坂の上の雲」の中から、今回は広瀬武夫をピックアップ。池田さんが、「柔道」と「漢詩」をやるということに、限りなく懐かしみを感じるという、広瀬武夫についてご紹介いただきました。
 
 広瀬武夫(ひろせ たけお)は、明治時代の海軍の人で、わたしたちの祖父母や父母の世代の人々にとっては唱歌にも歌われ身近に感じられた人だったに違いない。
 彼の最後の時にもよく表れている「部下を思い、大切にする心」や、彼が所属したところでは、彼の快活な性格から大いにグループの成績が上がったことやロシアの貴婦人との純愛物語など、正に日本の快男児の生涯だったように思う。

広瀬中佐  文部省唱歌

1 とどろく砲音(つつおと)とびくる弾丸
  荒波洗(あろ)うデッキの上に
  闇をつらぬく 中佐の叫び
  「杉野はいずこ 杉野は居(い)ずや」
2 船内くまなくたずぬる三度(みたび)
  呼べど答えず さがせど見えず
  船は次第に波間にしずみ
  敵弾いよいよあたりに繁(しげ)し
3 今はとボートに うつれる中佐
  とび来る弾丸(たま)に たちまち失せて
  旅順港外うらみぞふかき
  軍神広瀬と その名残れど

 この唱歌に歌われたように、彼の生涯は、日露戦争のとき、旅順港外の作戦時に終わった。
 この作戦の背景や彼の思い、彼の短い人生の物語などを「坂の上の雲」の中にたどってみたい。

 ロシアの旅順艦隊は、艦隊保全主義をとって港の中で待つ体勢に入った。将来本国から回航されるバルチック艦隊と合わせて、数量的に日本を圧倒する作戦である。出て来ぬ敵を旅順港内に閉じ込めてしまおうという考えは当初から日本側にあった。この前例は、かって米西戦争のときスペイン艦隊が、キューバのサンチアゴ港に引きこもったのを米艦隊が港口を閉塞する作戦として行ったことがある。このとき駐在武官として米国のこの作戦をつぶさに観察したのが秋山真之だった。かれはこのときの状況を科学的なレポートにまとめていて、日本における閉塞戦の権威であった。
 もっとも、旅順港の閉塞作戦の企画、推進、実施指揮官を名乗り出たのは、真之の先輩にあたる有馬良橘中佐と真之と仲の良かった広瀬武夫少佐であった。

 旅順港口は、狭く、巨艦が出入りできる幅は91m程度である。この狭い港口にぼろ汽船を沈めて塞いでしまい、旅順艦隊を閉じ込めてしまおうというのが作戦であった。閉塞戦は3次に渡って実施された。初回のとき、この作戦に参加する下士官以下のメンバー67名を公募したところ、艦隊から2000名の応募があった。

 これを聞いた広瀬は真之に云った。
 「この戦は勝てる」
兵はシビリアンである。その兵が進んで志願してくれたことは、この戦争が国民戦争の証である。

 ここに国民的な気概が表れている、というのである。
 第一回閉塞戦はうまくいかなかった。引き続き第二回作戦が実施され、広瀬は福井丸に座乗して3月27日の未明に旅順港口に赴いた。警戒中の敵の要塞からは、猛烈な砲火が浴びせられ、探照燈の光に目がくらみ、操船は思い通りにはいかない。このときロシアの駆逐艦が近づき、魚雷が発射され、それが船首に命中して、大爆発を起し、浸水が始まった。だが脱出までには間があり、広瀬は快活さを失わずみんなを指揮した。このとき杉野上等兵曹だけが見つからず、広瀬は「杉野、杉野」と呼びながら船中を幾度か探し回る。もはや沈没直前というところで、ボートに移って漕ぎつづける中で、広瀬は敵の砲弾に当たり消えた。
このときの情景をうたったのが先の文部省唱歌の詩である。

 広瀬はロシア駐在武官として露都ペテルブルグで過ごしたことがあった。

 * 彼の出入りした社交界で彼ほど婦人たちから騒がれた日本人はいない。大げさに云えば、明治後こんにちに至るまで、広瀬ほどヨーロッパ婦人の間でいわゆるもてた男もいないかもしれない。

 とくに広瀬を一家の最も親しい友人として遇してくれた海軍少将コヴァレフスキー伯爵の娘でアリアズナ・コヴァレフスカヤという美少女が広瀬を激しく慕った。アリアズナは文学的教養の高い娘で、その知性と美しさはロシア海軍の独身士官の間での評判であったが、広瀬の5年近い滞在の間、やがて彼女は広瀬以外の男性を考えることができなくなった。広瀬もついにはただならぬ気持ちになったことは、彼女との往復書簡でもうかがえる。彼女がロシア語で詩を書いて送り、広瀬がそれに対し、漢詩で返事をし、ロシア語の訳をつけたりした。

 この万葉の相聞歌のような往復書簡を比較文学の対象として研究されたのが前東京大学教授島田謹二氏で、「ロシアにおける広瀬武夫」という名著がある。*

 広瀬は、第一回閉塞戦に赴く日に、アリアズナに別れの手紙を書いた。その手紙は、中立国経由でやがてはペテルブルグの彼女のもとに届くはずだ。
さらに露都での広瀬は、フォン・パブロフ博士(パブロフの犬で名高いノーベル賞受賞の学者と思われる)とその家族からも愛され、そこに出入りしていたロシア海軍の若い士官は、広瀬を兄のように慕い「タケニイサン」と呼ぶほどだった。パブロフ家の送別会で広瀬は、この青年と約束を交わした。

 * 「ロシアと日本の上に、将来砲火を交えるような不幸が来るかもしれない。そのときは互いの祖国のために全力をあげて戦い抜きたいものだが、しかし我々の友情は友情として生涯大事にしたい。戦争になっても互いの居場所を何とか知らせ合おう」
というものだった。*

 開戦後、広瀬はこの若い士官からの手紙で、彼が旅順にある戦艦ツェザレウィッチの乗組だと知る。広瀬は、第一回閉塞戦に赴く日に、この若い士官宛にも手紙を書いた。


 * 「いま不幸にして貴国と砲火を交わす関係になったことはまことに残念である。しかし我々はそれぞれの祖国のために働くのであり、個人としての友情には少しも変わりがない。わたしは既にさる9日、軍艦朝日にあって貴国艦隊を熱心に砲撃した。それさえ互いの友情からみれば尋常ではないが、いままた閉塞船報国丸を指揮し、旅順港口を閉塞しようとしてその途上にある。我が親しき友よ、健やかなれ」

 この手紙は通信艇に托され、数ヶ月の後中立国経由で士官の手に届いた。

 広瀬の死はその後露都に伝わり、かれの恋人だったアリアズナは、伯爵海軍少将の娘でありながら、その未来の夫である日本海軍の士官のために喪装をつけ、喪に服した。*


 以下は広瀬についての、いくつかのエピソードである。
 広瀬武夫は豊後竹田の人で、維新後裁判官だった父に従い各地を転々とした。兵学校の頃から柔道を覚え、講道館では嘉納治五郎から直接指導を受け、陸に上がれば柔道に熱中したらしい。

 広瀬は滞露中、プーシュキンの詩の幾編かを漢詩に訳したり、ゴーゴリの「隊長ブーリバ」やアレクセイ・コンスタンチノウィッチ・トルストイの全集を読むことに熱中したことがある。日本人としては、ロシア文学をロシア語で読むことのできたごく初期の人々の一人であろう。

 広瀬は、海兵では真之より一期上だったが、二人は仲が良かった。二人は、軍令部出仕でいっしょになったことがあった。互いの海軍研究を交換し合うには同じ屋根の下で生活しよう、ということになり数ヶ月麻布の借家に住んだことがある。真之の母のお貞は、真之が可愛くてしょうがなく、その友達の広瀬も自分の子のように可愛がった。二人はお貞のところで、餅食い競争をしたことがあった。真之が18個、広瀬が21個食った。

 お貞は、「広瀬さん、ようおあがりなしたなァもし」と手放しで褒めたが、苦しそうな広瀬のために大根おろしをすってやった。
 広瀬と真之は同じ大尉の頃、イギリスで落ち合い、当時ヴィッカース造船所で建造されている戦艦三笠を見学したり、ポーツマスの軍港に行き、そこに回航されていた三笠の姉妹艦朝日を見学したりした。朝日で二人は記念写真を撮ったが、感動と興奮が包んだ。撮っている背景が世界最大の軍港で、立っている場所が日本第一の戦艦朝日であり、撮られている二人は日本海軍のホープだ、ということに若い二人は興奮したのだろう。
 これより後、広瀬はロシア駐在武官を解かれて帰国した。彼は、極寒のシベリアをそりで横断してきた。当時海軍大学校の教官を務めていた真之を訪ね、ロシア駐在中に得た情報やシベリア横断の体験から得た情報を真之に伝えた。一昼夜平均二百キロの距離を、十昼夜半続けて走り、睡眠はそりの上で居眠り程度で済ます強行軍をやってのけたが、それでもさほど疲れなかった、という。超人といえる。
 「広瀬は明るくて豪快な男で、しかも部下が可愛くてしかたがないという男でしたから、彼が乗る艦はみな晴れやかな空気になり、成績も大いに上がるという風でした」
と彼と兵学校同期の竹下勇次郎(のち勇・大将)はそのように広瀬を語っている。彼自身、その信条から婦人に近づかなかったにせよ、婦人から見ればよほど好感の持てる男だったようである。

◆文中 *--------*の箇所は、
司馬遼太郎「坂の上の雲」からの引用部分です。

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