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伊達移住者の体験記 > 伊達暮らし27 父の思い出
 伊達市に移住をされた方に、日々の様子を綴っていただくコーナー。

 横浜から移住された池田武史さん。池田さんは、小さい頃から北海道好きのお父様より北海道の話をよく聞かれたそう。池田さんが定年後、北海道に移住されたことにも関わっているそうです。
 

 わたしの北海道好きは、父の影響だと思う。
 父はもう他界したが、昭和20年代後半から昭和30年代にかけて、よく仕事で北海道に出張した。



 父は東京の生まれで、早くに父親を亡くしたので苦学して機械技術屋になった。太平洋戦争の時には満州に数ヶ月出征したが、技術屋だったこともあり国内に戻り、飛行機の設計に携わり終戦を迎えた。
 戦後は林業機械を製造・販売する小さな会社に勤め、技術屋として機械設計や工場での製造での調整や小さな会社なので営業マンとしてもお客様と接した。集材機といって、山で切り出した木材をワイヤーロープに吊って下の方に巻き取る機械を商売にしていたので、お客様は全国の林業関係、特には国有林が多い北海道の営林局、営林署が多かったようである。
 そんなことで、日本が少しづつ復興してきた昭和20年代後半から、北海道の営林署巡りの出張が多くなっていったようだ。

 よく父が飲んだ時に聞かされた話は、昭和29年の洞爺丸台風のときのことである。
 この台風は北海道を襲い青函連絡船の洞爺丸が函館の七重浜沖で遭難して多くの方々が犠牲になった。吹き荒れた暴風雨で大雪山の木々も随分となぎ倒されたそうだ。この倒れた木(風倒木)をできるだけ早く搬出しないと腐ってしまう。そのことから、山奥まで林道を通したり、集材機を導入して大量に早く処理しようとする機運、林業の機械化が進んだと聞いた。

 そんな時代背景もあって、営林署での営業活動や技術打ち合わせのために北海道への出張が増えていったようだ。この出張にまつわる話としてよく聞いたのは、出張に出かける日のことである。

 当時は、東北本線の急行で青森に行き、青函連絡船で北海道に渡る。
 日曜日の夕方に東京の北区の家を出発したそうだ。日曜日の夕方は家族団らんの時で、近所の家では家族揃ったにぎやかな声も聞こえてくる。そんなご近所のにぎわう声や家の灯を見ながら最寄り駅の赤羽駅に行くまで「なんで俺だけ、こうして日曜日に出かけて行かなければいけないのかな!?」という思いを持っていた。京浜東北線に乗り上野駅に着き、乗換えで構内を歩いていると、自分と同じようにボストンバックを抱えて東北線に乗り換える人々がたくさんいたそうだ。

 ここに来て「ああ、自分と同じように出張に出かける人がいっぱいいるのだな。」と納得というかあきらめというか気持ちになれた。
 当時は日本復興の時で、日曜日の夜に立ち、月曜から仕事に入るということが当たり前のような時代であったのだろう。
 北海道に来ると、各地の営林署を回るので、10日から2週間くらいの出張期間となったようだ。
 おみやげに、マリモ羊羹(球形でプチンと割るやつ)やバター飴などをよく買ってきてくれ、北海道の広々とした大地の話や「ボーイズ ビー アンビシャス」のクラーク先生の話をよく聞いた記憶がある。

 小さい時からのこの北海道についての刷り込みが強かったのか、わたしは小学校の高学年になるころから、「大学は北海道に行きたい!」という想いを持ち続けていた。わたしが北大受験で札幌に来る時も仕事にかこつけてついて来て、昼休みに旧工学部の食堂で一緒に飯を食った思い出もある。

 青函連絡船が廃止になるときに、NHKで「青函連絡船の思い出」を募集したことがある。父は、自分と青函連絡船の関わり、思い出を書いて応募して、ラジオで放送されたと喜んでいたことがあった。
 父の青函連絡船でのささやかな望みは、列車を乗り換え連絡船に乗ったら、先ずシャワーを浴びてさっぱりした後に、食堂で黒ビールを飲むことだった。このシーンは若い時に、青函連絡船の中で見かけたもので、自分もいつかあのことをやってみたいと思っていたことだったそうだ。そんなことを織り交ぜた感想を思い出として書いたようだ。


 北海道に来て、伊達から長万部方向に走っていると、途中「黒松内」という地名が出てくる。そういえば昔黒松内営林署云々と父から聞いたことがあるなと思い出す。一度黒松内という父がかって仕事で行ったところを訪ねてみよう、と後日ドライブで行ってみたりした。

 芦別岳の麓に山部というところがある。父は昔出張の時、この山部の駅前の屋台で友人とさんざん飲んで持ち合わせが足りなく、恩賜の銀時計をかたに置いてきた。次の出張の時にそこを訪ねたがその屋台の人は行方知れずになり、ついに取り戻せなかったとのこと。山部のあたりを通るといつもその話を思い出す。その飲兵衛の血筋は確実にわたしも引き継いでいるようだ。
 出張の時、いつもと違う土地で飲む酒は、旅情もありまた格別だったのだろう。この頃は同じ男としてそんな感慨も持つ。

 わたしは学生時代の4年間を札幌で送り、山登りのクラブに居たおかげで北海道のいろいろな地域を歩き回った。あまり観光地は知らず、夏の知床半島の海岸線を突端まで歩いたり、雄冬の当時道の無い海岸を歩いたり、冬のサロベツ原野をソリを引いて歩いたりして、北海道の自然と親しんだ。


 就職して関東地方で勤めて、2007年に定年を迎え、改めて今後の生活を考えた時に、もう一度北海道に行ってみようという気持ちになった。

 今までは伊達という街のこともよく知らなかったが、雪が少ないということも一つのきっかけとなり、2007年5月から住み始めた。未だ一冬を越していないので、いつ何時寒さにめげて暖かいところに行きたいと言い出すかもしれないが、今のところここでの生活を楽しんでいる。
 気候や自然環境の良い所や、新鮮な野菜や魚介が豊富なことなどもありがたいが、一番はそこに住む人々との交流が少しづつでも出来てきていることがうれしいことである。

 還暦を迎えてから、再び何十年振りかに北海道の地で暮らすことになった糸をたどると、どうしても小さい頃父親から聞いた「クラーク先生のボーイズ ビー アンビシャス」の話やおみやげとして食べたマリモ羊羹やバター飴の味につな
がっていくように思える。07-12-31記
    
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